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昨晩のことだ。 そろそろ床に入る準備をしようかと、片付け始めたところに電話がなった。ときどき依頼のくる葬儀社からだった。この時刻の電話。おそらく急で困っているのだろうと電話にでると、案の定明日の午後だという。しかも場所は静岡県の裾野市だ。午前は川越での仕事がありすぐ断ろうと思ったが、とても困った様子だったので、いつも名代(みょうだい、代理)を勤めてくださる上人に当たってみると一旦電話を置いた。
残念ながら明日は仕事が入っているとのことだった。断りの連絡をするつもりでダイヤルしたが、開始時刻と住所を詳しく聞いて、移動時間を調べるとギリギリ間に合いそうだったので私が引き受けることにした。
36歳の男性の、非常に簡便なお葬式の依頼書が届いたあと、すぐまた電話が鳴った。「ご逝去日がわからないので、明日現地でお伝えします」とのことだった。人の最期は本当に様々だと思いながら、遺族であるご両親と連絡先となっている妹様の心中を察した。
夜遅いが、一時も早い方がいいと思い電話でご挨拶をした。明朝豊田市を出て裾野市に向かわれるとのことだった。
川越での法要を済ませて圏央道から東名を抜けると、裾野市の斎場に思ったより早く着いた。しばらく待っていたところに葬儀社の車が到着した。顔つきが重苦しく暗いのは当然だろう。葬儀社の方のお仕事も想像以上にたいへんに違いない。
まだ時間が少しあったので、待合室でご両親と妹様とに少しお話させていただいた。いくつかのお話をすると、お母様と妹様の目から大粒の涙が溢れ出た。私より少し年上に見えるお父様はというと、まだ事態を受け止めきれず何をどう考えていいのかというご様子で、目が宙を泳いでいるような面持ちだった。
そういえばまだご逝去日を聞いていなかった。棺の前に立つと白木の位牌には「平成二十八年九月」とだけ書かれてあった。
私たちはどんなことも、最期にはすべてを受け止めなければならないときを必ず迎える。その予行演習のためにだけ、私たちは生きているのではないかとさえ思えることもある。
そういえば小学生のころ、父が私にこう教えてくれた。「自分でないものを自分だと思い込んでいることから苦しみが生じるのだよ」と。
そのときはまったく意味がわからなかった。
「私はこのように生きて来た。これが私なのだ」と、多くの人が考えているが、それはすべて思い込みだと今ならわかる。それは「私」のまわりに着いている習慣や、ある価値観や、これまでの体験から来る対処法であったりするだけで、それが「私」であるわけではないのだ。
それを離れた先に待っているのが、絶対的な静寂である「私」なのだ。
父の「私」は、私の「私」にそれを伝えようとしてくれていたに違いない。
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posted by Shukai at 11:18| 東京 ☀|
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