2015年04月17日

茶道の作法は合戦場で練り上げられた?

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 家康が大敗したことで有名な三方ヶ原の戦いで、浜松城に戻った家康は自の戒めのために苦渋の表情の肖像画を描かせ、これが現在徳川家康三方ヶ原戦役画像、通称「顰像(しかみぞう)」として残っている。一説によると、命からがら逃げ帰った家康は馬上で脱糞し、家臣にそれを指摘され「これは焼き味噌だ」と言ったとか言わなかったとか…

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家康の顰像


 かつての戦争は、大将自らが甲冑に身を固め、先頭を切って合戦場に繰り出したまさに命がけの場であった。何万人もの雑兵を抱えるそんな中で、トップの人間がパニックにでもなれば軍隊は散り散りである。そのような状況の中で、どう平常心を保つか。その一点に勝敗は掛かっていたといっても過言ではないだろう。

 広大な合戦場を挟んで、敵が向こうの丘の上に陣を張っているそのこちら側で陣を張り、そこで茶を点てるのだ。以前は「昔の戦争はのんびりしていたんだなぁ」と思ったが、そうではないのだと茶の稽古をしていて気がついた。極度の緊張状態の中だからこそ、最期かもしれない茶に心血を注ぎ、世界の美を飲み干すのだ。
 作法の一挙手にすべてを集中して呼吸を深め、何物もない静寂の中へと潜行していく。プライベートな行である坐禅なども平常心を保つ優れた方法だが、茶道はグループで、ある意識状態へと到達できるのである。

 そのような状況の中で、茶道の作法が磨かれていったとは考えられないだろうか。生と死を同等の価値と捉え、それさえも超えたところにアイデンティティを求める日本文化の美学が、そのようにして練り上げられたと思われるのである。

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posted by Shukai at 08:50| 東京 ☀| Comment(0) | 祈り・儀式・佛教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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