2015年05月31日

死後の存在

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 実家の寺にいた若いころ、檀家さんのお宅に伺うとよくこのように訊ねられた。
 「若おっさん、あの世てありまんのか?」
 大阪では「和尚さん」が訛って、「おっさん」と呼ぶのだが、大阪人らしくからかうようによくこのように聞かれた。

 「あの世、この世」という概念は、言葉が作る別れた世界の見方だ。生まれてすぐの新生児に、自分/他人、あの世/この世という意識が未分化なように、私たちは何も分かたれていない「ひとつ」のところからやって来て、100年前後この別れた世界を体験し、また何も分かたれていないひとつの領域へと帰って行くのではないだろうか。
 「倶会一処」とは、このことを指しているに違いない。
 分かたれたこの世から見ると、「この世とあの世」となるが、何も分かたれていないひとつの領域から見ると「この世=あの世」なのだ。

 私たちは肉体をまとっているが、その肉体が自分ではない。これは「私の肉体」であるが、私自身ではない。私はいつかこの肉体をこの世に置いて、この世から立ち去らねばならないのだ。
 肉体を離れると、すべてとひとつで何も分かたれていない存在となり、常に一緒にいるという在り方になるに違いない。

 私は、毎日のように亡くなった父を思い出すのだが、ある時には父が好きだった花の香りとして父が存在し、またある時には父を思い出して胸の中央がほんわりと温かくなるが、その温かさとして父が存在していると思えるのだ。

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posted by Shukai at 12:05| 東京 ☀| Comment(0) | 祈り・儀式・佛教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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