2016年08月21日

座禅、瞑想をすると見えないものが見えてしまうのですが…

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先日もそのような質問を受けた。その時は私よりも専門の方がいらしたので、軽く受け流したが、いちどきちんと解説しておこうと思う。

まず、日常的でないことをすると、日常的でないことが起きるのは当然なのである。それを特別なこととして、追い求める人もあるようだ。すなわち、予知や霊能といった特殊な能力と思い込むのだ。しかし、そのことに取り合ってはいけない。それは、禅の世界でも「魔境」と呼ばれ、退けられて来た。道元禅師の墓の回りには、小さな石がたくさん取り囲むように並んでいるが、それは魔境に入って発狂死した弟子の墓だと聞いたことがある。

サマーディ(禅定)に入り始めると、心に様々なことが脈絡なく浮かんだり、いろいろなことが見えたり、音や声が聞こえて来たりするが、それを眺めている自分を眺めるというスタンスが肝要なのだ。ヨーガ哲学などでは、それを「観照者」と呼ぶことがある。

また、ヨーガ哲学では馬車の喩えがある。放っておくとどこまでも行ってしまう馬には、手綱をつないで御者の手にしっかりと持たせる必要があると説く。馬車は私たちの身体に喩えられ、軛(くびき)でしっかり馬とつなぐ。御者は理性を表し、心を含めた感覚器官を統御するのだ。そしてその後ろに座っているのが「私」だと喩えられる。

現代風に言うと、ガンダムに乗って操縦しているとイメージするとわかりやすいかもしれない。

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posted by Shukai at 18:51| 東京 ☀| Comment(0) | 祈り・儀式・佛教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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