2013年11月05日

「琉球村」の成功

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 久々の沖縄で恩納村に泊まる前に、地元のマーケットで島野菜を買い込んだ。珍しい野菜と地元の塩の味つけに舌鼓を打った。
 食材がなくなり、近所のスーパーに島野菜を探しに出かけたが、オープンキャンペーンのスーパーには、内地の商品ばかりが大量に並んでいた。バナナはフィリピン産で多種のペットボトルが並び、紅芋もシークァーサーも海ぶどうも売っていないのには驚いた。

 そういえば沖縄海洋博のあと、30年ほど前に全日空や日本航空などがこぞって巨大リゾートホテルを建てた時期があった。沖縄が返還されて、国内線では北海道と並ぶドル箱となったからである。正規の往復運賃よりもずっと安い料金で、しかも高級ホテルの宿泊までついていたそのツアーは、那覇空港までリムジンバスでの送迎つきであった。
 ホテルの敷地内にはプライベートビーチがあり、スノーケリング、スキューバダイビング、ジェットスキー、テニスコートや沖縄民謡の舞台から豊富なお土産までなんでも揃っていた。主要な観光地巡りのオプションもあり、お土産は専用の巨大な土産物店に寄るツアーである。観光客はホテルの中だけで沖縄を堪能し、結局のところ地元を潤す観光客は激減した。東京からやって来た資本は、そこで上がる利潤もすべて東京へと持っていくのである。地元の雇用は増えたかもしれないが、結果的にそれは搾取であった。

beach-kafuu-look.jpg
カフー リゾート フチャク コンド・ホテルHPより
(記事の内容とは無関係です)


 40年ほど前首里城近くの松川の、土産物の泡盛の徳利を作る窯元にいたころ、地元の久場くんという男性と一緒に住み込んで仕事をしていた。彼はその後も焼き物を続け、30年ほど前に再度沖縄を訪れ偶然再会した時には、「琉球村」焼き物課の課長になっていた。彼の作品が、たまたま泊まったホテルに展示されていたのだった。

 その時は琉球村に行くチャンスがなかったが、今回の沖縄訪問でその機会があり訪ねてみた。彼はもうそこにはいなかったが、入り口を入ると突然古い琉球の村の風景が広がった。築100年くらいの旧家を移築し、ヤギの小屋や台所なども再現され、地元の人々が生きいきとそこにいた。古酒を並べて解説し、とびっきりの古酒を飲ませてくれる家や、壺屋の登り窯を再現した建物もあり、彼はその仕事場を仕切っていたのだと思うと、とても懐かしい思いがした。

琉球村01.JPG
琉球村


 地元の資本と古い資源を活かし、琉球村は成功したとてもいい例だと感心した。食材の消失は文化の消滅である。一極集中の経済システムではなく、コジェネレイティブな分散した経済システムが望ましいのではないだろうか。

琉球村04.JPG

琉球村02.JPG
忠実に旧家を再現した琉球村


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2013年03月18日

中村泰治先生のこと

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 昭和大学名誉教授(細胞分子生物学)の中村泰治先生とお会いするのは、昨年に引き続き二度目であった。
 昨年もISLIS(国際生命情報科学会)シンポジウムで、「森になる」の発表をお聞きくださった。今年は「森になるデスワークVer.2」にもご参加くださり、終了後に東大名誉教授の渥美和彦先生と写真をご一緒させていただいていると、「私も一緒に…」とお越しくださった。

中村泰治.jpg


 別れ際にお声がけくださり、「私もヨーガは16歳からやっているのですよ」と仰った。清新な絵も描いていらっしゃる先生だが、とても88歳には見えないと思っていた。先生のお年から察すると、ヨーガを習うとすれば中村天風くらいしかいないだろうと思ったら、やはりそのおとおりだった。

 「歳を重ねると、たくさんの事柄が体をとおして理解できるようになってくるのです」と仰るお言葉には、軽妙な中に年輪という質量が、手の平に乗るかのような重みを感じた。「学者はややもすると、頭だけで理解しようとするが、この歳になってやっとわかったことを伝えていきたい」と、中村泰治先生も語ってくださった。

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2013年03月15日

北斎の「神奈川沖浪裏」はコピーだった!?

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 崩れる波頭に揉まれる木船。その波間に富士山が描かれる「富嶽三十六景 神奈川沖浪裏」。世界的に有名な北斎の代表作である。1867年パリで開催された第二回万国博覧会に日本が初参加した際に出品された中で、葛飾北斎の絵は、ゴッホ、セザンヌ、ゴーギャンらフランス印象派の画家たちに鮮烈なインパクトを与えた。
 ドビュッシーはこの絵から霊感を得て、交響詩「ラ・メール」を作曲し、クールベは数枚の「怒涛図」を描いたとも伝えられている。

神奈川沖浪裏.jpg


 しかしこの「神奈川沖浪裏」、じつは宮堀師「波の伊八」の欄間(1809年作)の一部をコピーしたものだったという。 中世の西洋もそうだったらしいが、江戸時代も作品をコピーされるということは、名誉なことだった。 そもそも波頭の崩れるような波は、外房の外海ならともかくも富士山の見える内海である神奈川県の沖で見られるものではない。
 京の浮世絵画家たちの間で「江戸に行ったら波は描くな。伊八の波で恥をかく‥」ともいわれていたらしい。宮彫師の武志伊八郎信由のことである。

 文化六年、上総一ノ宮の行元寺では庫裏の建築が始まっていた。そこの欄間の彫りを依頼されて呼ばれたのが伊八であった。
 伊八は毎朝目が覚めると、酒を入れた瓢箪を腰に付け馬にまたがり夕方まで帰ってこない。そんな日が2週間経ち、3週間が過ぎた。業を煮やした住職は「そろそろ欄間を彫ってはくれまいか‥?」と、伊八を促す。そしてできたのが「波に宝珠」の欄間である。実は伊八は毎日馬に跨り、海に入ってサイドから見た波をスケッチしていたのだという。
 伊八が現れるまでの日本画では(西洋画も)、波は海岸線に立った目線で水平線と平行に描かれる波だったのだ。

 床の間のある部屋と、隣の書院の間にある二間の欄間で、いちばん南側の裏側がこの写真である。裏面の彫りなので線が平面的だが、表側は非常に立体的で圧倒されるほどのダイナミックさだ。 この写真の宝珠の部分に富士を置いたのが「富嶽三十六景 神奈川沖浪裏」だというのである。博物館長としても勤めていたご住職のお話では、記録によると伊八がこの欄間を彫ったあとに北斎がこの地を訪れたのは確実だということである。

伊八波欄間.jpg

 
 行元寺ご住職との橋渡しをしてくれたのはエバレット・ブラウン。フォトグラファーだ。20年ちかく前に出会ったころは、ピンホール・カメラでフォトジェニックな作品を撮っていた。
 10年振りに会ったら、NPや共同通信に写真を提供するヨーロピアン写真通信社日本史局長になっていた。ずいぶんと出世したものだ。
 数年前には松岡正剛氏との対談も出版され、皇室の撮影なども手がけている。

 日本人の奥さんはデコさん。マクロビオティックを教え、本も多数出している。彼女の古い友人は、あのマドンナの専属シェフで、毎食マドンナにマクロビオティックを提供している。

 エバレットはいま「波の伊八」をヨーロッパに紹介することを考えている。

 伊八があの作品を作らなかったら、ドビュッシーの「ラ・メール」も生まれなかったかもしれない… 
 世界的なビッグニュースである。

 (欄間のあるいすみ市「行元寺」ご住職、市原淳田氏のお話より。参考『旅の手帳』平成13年3月号)

 動画で解説「千葉県インターネット放送局

 エバレットの作品群⇒クリック

 ブラウンズ・フィールド⇒クリック

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2013年03月13日

トランスパーソナル心理学―黎明期から「森になる」へ(第1回)

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日本トランスパーソナル学会:ニューズレター寄稿文


トランスパーソナル心理学―黎明期から「森になる」へ(第一編)

 「死」というのは、最終的なトランスパーソナル体験と言えるかもしれない。

 寺に生まれ育った私にとって、「死」は特別な事ではあったが、日常の中の出来事でもあった。私が生まれた年に、戦後の身寄りのないお年寄りのためにと、祖父母が老人ホームを境内に建てた。今からちょうど60年前のことである。通常の多くの寺で「死体」を目にすることはあっても、「死」という現象を目の当たりにすることはあまりないかもしれない。小さなころは毎日お年寄りの部屋を訪ねて遊んでいたのだが、元気にしていたおじいさんが、夕方には寺の座敷の布団に横たえられ、動かなくなっている光景などをよく目にしていた。その人の個性がなくなり、空間へと霧散してゆく様を眺めるかのような感覚を感じていたのだ。

 私がトランスパーソナル心理学と出会ったのは、1970年代後半に大学で仏教や印度哲学の原典を、サンスクリット語で読んでいる頃だった。仏典などは、同じ経典の漢訳やチベット語訳、そして上座部仏教に伝わるパーリ語訳などと対照しつつ訳してゆくのである。
 そんな頃に井の頭公園近くにあった喫茶店に入ると、ガリ版刷りワラ半紙のニューズレターが吊ってあったので何気なく手にとった。しばらく眺めていると、「サンスクリット語講座」の案内が書かれているのが目に止まった。大学でもサンスクリット語を学べるところは数箇所しかないのに、誰がどんな講座をしているのかととても興味が惹かれ、また訝しくも思ったのを鮮明に覚えている。自宅に戻って電話をしてみると、アメリカから戻ったばかりだという吉福伸逸氏のリラックスした柔らかい声が受話器の向こうから聞こえてきた。
 どこでサンスクリット語を学んだのか聞いてみると、UCバークレイでインド人教師からマンツーマンで学び、卒論もサンスクリット語で書いたのだと聞いて驚いた。私が学んでいたサンスクリット語は、ドイツ文献学の手法のためのサンスクリット語であった。トルファンなどの遺跡で発見されて傷んだマヌスクリプト(写本)を、母音の長短による韻律や音節の数などから類推し復元するための手法である。すでに復元されたテキストと参照して、1ページに数文字しかない破片から完全な1ページへと復元するという職人技のための手法である。それに対して吉福氏が学んで帰ったのは、「言語哲学」としてのサンスクリット語であったようである。その言語を実際に使い、その言語で問答を繰り返すことによって、聖なる言語と呼ばれる「サンスクリット語宇宙」を体現してゆくとでもいうようなアプローチで、大学での講義とはまったく別物だったのである。
 氏のサンスクリット語講座にしばらく通ったある日、3つの単語からなる一文を訳すようにと指示された。サンスクリット語は語尾変化の数が多く、変化する前の原型を類推しなければ辞書を引くこともできない。ひとつのルート(語根)が動詞にも形容詞にも名詞にも変化してゆき、それがさらに単数、両数、複数、そして男性形、中性形、女性形と変化し、またさらに主格や目的格といった8つの格へと変化するのである。与えられた文章は間違いなく訳せた。しかし、「こんな風に訳したらどうかな」と、氏の口から出てきた文章に驚いた。たった三つの単語しかない文章なのに、その言葉がいきいきとした強い存在感をもって空間に躍り出たのである。
 これは本当にショッキングな出来事であった。どうすればそのように訳せるのか質問を投げかけると、「言葉をひとつひとつ概念として捉えてみてはどうか」という返事が返って来た。「概念」‥それまで何気なく使っていた言葉であったが、その真意を掴んではいなかったことに気づかされた。そこから私の「探求」は始まった。吉福氏はサンスクリット語だけではなく、当時アメリカで起きていたムーブメントを整理して日本に伝えた第一人者であることはよく知られている。最近でこそ市民権を得た「トラウマ」という語を、「精神外傷」と訳すか、「トゥローマ」とカタカナイズするかという現場でもあった。後の書店でコーナーが作られた「精神世界」という語も、ここから生まれたのだが、C+F Communications (シーアンドエフ)として発足するのはもう少し後になってからであった。

samskrit01.jpg
サンスクリット写本の断片


 その探求は一言で表すと、最近でこそウンザリするほどよく耳にする言葉だが、「私は誰なのか?」という深い問いへと成長していった。氏のサンスクリット語講座に通うたびに、これまでの自分が悉く突き崩されてゆくのである。文章にするととても単純な表現になってしまうが、体験としては非常に大きな出来事である。自分の居場所だと思っていた場所がなくなり、何とか縋ろうとする藁の最後の一本までもが消えてゆくのである。このだだっ広い宇宙の中で、何かを掴むこともできず、どこかに依って立つその場所さえもない‥
 この体験は、後に何度も追体験をすることになる。というのも、本山である知恩院での修行が待っていたからである。修行の目的を、誤解を恐れずシンプルに述べてしまうと、「死の予行演習」と言えるもかもしれない。それは、「自分」と思い込んでいるものが、悉く指の隙間から崩れ落ちてゆく体験なのである。何も確かなものはないのだとう体験は、自己存在が全否定されるほどにとても強烈である。いったんその領域を垣間見てしまうと、見て見ない振りなど金輪際できなくなるのである。それまでに確かだと感じていた日常に、大きな裂け目ができてしまうのであった。

 トランスパーソナルというのは、我々日本人にとって実はたいへん馴染みのある領域だったのではないだろうか。「個」というものを、「世間」という全体へと委ねることによって社会を維持してきた日本人にとっては、あえてトランスパーソナルと言わなくとも本来的に備わっている資質であるさえ思えてしまう。「個」を強く持つことが美徳とされる社会にあっては、それを超えることにアクセントの置かれる局面を迎えているのであろうが、それをそのまま日本にアプリケートすることに、少々違和感を感じるのは私だけであろうか。
 「個」を超えるためには、その超えるための「個」がまず明確にされなければならないが、ここで勘違いしてならないのは、「個を強く持つ」という点ではなく、何が「自分」であるのかを、距離を取って見るというもうひとつの視点である。「私のアイデンティティ」という表現も、肯定的に使われることが多いようだが、「私のアイデンティティ」を「私」であると勘違いしてしまうケースはよく見かける。自分の中の何が、すでに条件付けられた常識や観念で、その瞬間に起こっている内的な動きが何を源としているのかを、ただただ観照するということが重要だと思えてならない。こういった点の混乱が、あらゆる苦悩の源となってはいないだろうか。
 小さな自分を、より大きな自分に明け渡してゆく。言葉としてはわかるのだが、実際にその局面に立つと人はずいぶんともがくものである。なぜか?自分のアイデンティティが、かさぶたが剥がされるように開かれてしまうと痛いからである。その傷口のいつも開いている状態が、「探求」と呼べるのではないかと思えるのである。

 跡継ぎ予定であった寺から出家してから、ずいぶんといろいろなことをしてきた。そしてずいぶん沢山の物事を捨ててもきた。様々な環境活動や平和活動にも顔を出した。そんな中で、真剣であればあるほど、そこに強く現れる対立も目にしてきた。対立してどこに平和が生まれるのかとよく思ったものである。
 自説に固執すると、どうしても「違い」に意識がフォーカスしてまう。対立を包み込んで超えるためには、「同じ」という共通項を見出さねばならない。あらゆる人に共通して持てるテーマを中心に据えて、その周辺に様々な入り口を配してはどうかと考えるようになったのはそのような経緯からである。
 誰にでも共通するテーマ―「死」をそこに置いてはどうかと考えるに至ったのは、私の成長課程で見てきた事柄が大きく作用しているのかもしれない。

 年々増加する自殺者数。どんどん消えてゆく自然環境。切れてゆく家族の絆。ますます広がる都市と地方の人口格差。山積みになる無縁墓。枚挙に暇がないほどの問題の、根本的な原因は地中深くで複雑にその根が絡み合っている。であるならば、それらを一挙に解決できる根源的なたったひとつのツボがあるのではないか。絶望的な思いの果てに立ち現れたのは、そんな突拍子もないインスピレーションだった。

 しかし、あらゆる問題を、自分が何とかしようなどとはおこがましい。「森になる」―そう、すべてを置いてこの世界を去るならば、せめて最後くらいすべてを明け渡し、自ら進んで自分が森になればいい。

 「我々が悟らねばならないのは、自分が環境によって条件づけられているだけではなく、我々が他でもないその環境だということ、自分がそれと分離したものではないということである。」Krishnamurti

 墓碑の代わりに樹を植えるという「樹木葬」ではなく、また環境保護だけの運動でもない「森になる」は、環境に保護されて来たのだということを再想起させる仕掛けである。自分の墓の世話をしてくれる跡継ぎがいないので、せめてここで安らかに眠ろうと樹を植えた人が、いつの間にか人の役に立ち環境のためにもなる。そしていつの間にか「個」を超えてゆくことを実感してしまう。「森になる」はそのような心ある罠なのである。
(Japan ranspersonal Association Newslette:2013.03 [Vol.18 No.2])

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2013年03月02日

ネット中継:第35回ISLISシンポジウム

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3/16-17(土・日)横浜国立大で開催される「第35回生命情報科学会(ISLIS)シンポジウム」について、IWJウェブジャーナル(岩上安身氏主宰)より Ustream 中継申し入れがありました。

一般社団法人森になる「森になるデスワークVer.2」は、3/16(土)16:10-17:40 に行いますが、後半のワークショップは中継をお断りしています。

image.jpg


IWJウェブジャーナル⇒クリック

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2013年01月05日

変化を恐れてはならない―「内的錬金術」ノススメ

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 以前、鎌倉の曹洞宗建長寺派大本山建長寺での、「住職勉強会」に講師として招かれたことがあった。
 檀信徒の寺離れなどの問題を前にして、刺激を与えて欲しいというのがその趣旨であった。
 
 一通りの話が終わって、質疑応答の中で「樹木葬の話しが出ましたが、墓を護ることを指導して来た住職の在り方と抵触しませんか」という問いが出た。

伝統的な文化を大切に次の世代へと伝えてゆくことは、とても重要なことである。がしかし、一般人の日常生活からかけ離れてしまっては、それを「文化」と呼ぶことは難しいのではないだろうか。日常の生活の中で息づいて、しかも切れ味の良い道具であってこそ「文化」と呼ぶにふさわしいのではないだろうか。

 仏教、特に一般に禅宗と呼ばれる曹洞宗や臨済宗では、「把放自在(はほう)」と言って、掴むことと手放すことを教える。すでに崩れ始めている価値観を前に、怖れからそれを掴んではならない。喜びと共にそれを手放すことの手本を示さねばならないであろう。

 地球が誕生してからこの方、一度も体験をしたことのない地球規模の大きな局面を迎えているのが今である。これまでに誰も迎えたことのない事態を前に、これまでの価値観が通用するはずもない。であるならば、たった今まったく新しい価値観を創造してゆく以外、我々に残された道があるだろうか。

 かといって、これまでの在り方、これまでの自分を否定してもならない。怖れを喜びへと変容させる、内的錬金術が今、必要とされているのである。

太陽系042.jpg


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2012年09月09日

一人称単数代名詞を持たない民族

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 ペルー国境間近、アマゾンのジャングル奥地にひと月ほど滞在したときのことである。
 私が滞在した集落は貨幣経済が入っていたが、そこから程近いところに、まだ貨幣経済が入っていない部族がいると聞いた。

1.jpg

ブラジル北西部アクレ州“外部との接触を持たない”部族
(National Geographic News)


 彼らの言語には「私」という、一人称単数形の代名詞がないというのである。「貴方」という二人称単数形はあるらしいのだが、一人称には「私たち」という複数形しかないとのことであった。

 また、「自然」という名詞がなく、それに近い単語は「この世界」といった言葉であるとも聞いた。「自然」という言葉は、「自然」を自分から切り離して、客観的な対象物として捉えた時にはじめてできる言葉なのだろう。彼らにとっては、「この世界」と自分との境界が曖昧なのである。

 あらゆる物事を客観化し、対象化することで科学が発達し、私たちはその恩恵に浴している。そしてそれと同時に失ってきたものも多いと言えるかもしれない。

 だからといって、古代のような生活に戻るのは非常に困難である。
 「西洋か東洋か」という問も出し尽くされた。人間を頂点に置いて全てをコントロールしようとする近代西洋の枠組みでなく、また自然に服従する東洋古来の枠組みでもない、その双方が美しく織り成された新たなる枠組みを、いま私たちは模索しながら作りつつあるのではないだろうか。

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2012年08月07日

世界同時多発悟りー「過去仏」という作業仮説

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 いまやPCは人類のもう一つの感覚器官であり、インターネットは人類共有脳の肉体外部ニューロンであると以前に書いた。
 それを考えると現代における「悟り」は、パーソナルレベルではなく人類規模で起きるのではないかと予感されるのである。
 ところで、仏教には「過去仏」という考え方がある。釈尊は悟りを得たのち、絶大な虚無感に襲われるが、梵天(ブラフマン)の依頼に応じてその教えを説き始めたと伝えられている。人生の大目標であった悟りに至ってのち、すべてを成し遂げて釈尊はバーンアウト症候群に陥ったわけである。おそらく過去にも現代においても、修行をして悟りに到達し、そのまま肉体を離れた行者は数限りなく存在したのではないだろうか。しかし、釈尊はそこで立ち上がったのであった。そこに釈尊の「慈悲」を見ることができる。

梵天帝釈天勧請.jpg

梵天(左)と帝釈天(右)による勧請


 のちの弟子たちは、そのような領域に達した仏たちが、過去にも現在にもそして未来にもいるはずだと考えた訳である。そのように仮説することで、様々な深い教えのつじつまが合ったのではないだろうか。しかし、当時の「悟り」は釈尊という個人の、あくまでもパーソナルなレベルの事であった。
 それに対して、現代の私たちを取り巻く環境やテクノロジーによる意識の在り方は、明らかに当時とはまったくといっていいほど事情を異にしている。一人の考えや思いつきや気づきが、ネットを通してほぼ瞬時につながり合い響きあうのである。インターネットがなくても実はつながり合ってはいるのだろうが、それがより具体的に意識化されているに違いない。
 ある意識状態をもつ人の数が増え、臨界状態に達して閾値を超えたとき、世界中のあちこちで悟りが同時多発的に起きるというワクワクするような妄想を掻き立てられるのは、決して私ひとりではないだろうと思えるのである。

Symphony of Science - 'We Are All Connected' by Carl Sagan

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2012年05月31日

シックス・センス(第六感)とプラティヤーハーラ

 ヨーガでいう「八支足(アシュターンガ)」は、最高の意識状態に至る八つの段階と言われるが、その状態を支える八本の足であるとも解説される。
 その一つにあげられる「制感(プラティヤーハーラ:Samskrit प्रत्याहार)」は、外界に向いている意識を内界に向けて、感覚を制御することとして重要視されているのだが、具体的には通常外に向かう感覚器官の矢印を、呼吸と共に内側に引き入れてゆくのである。この「制感(感覚の制御)」はヨーガのみならず、他のインド哲学でも大きく取り扱われている。

 突然の引用であるが、「天才バカボン」のネーミングモデル「薄伽梵」(ばぎゃぼん)であるインドの聖典『聖薄伽梵歌(バガヴァッド・ギーター:Samskrit भगवद्गीता)』の一節にこのようにある。

  「かの亀が四肢を引っ込めるように、感覚器官を感覚器官の対象から引っ込めるとき、彼の思慮は定まっている。」(前掲書、第二章、第五十八節)

 そして、馬の手綱を引くように、意(マナス=内的感官)によって感覚器官を抑制することを説き、手綱のない馬は感覚器官の対象を求めてどこまでも行ってしまうと諭している。
 日本語で日常的に使われる「五感」はここから来ており、視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚とインドでは古くから分類されて来た。

馬車の譬え03.JPG


 それに対して「第六感」と言われるのは、五感を説くインド哲学諸学派の説に加え、佛教では肉体と思慮との作用を総括して「意」を説いたことに由来している。

感覚器官
[根]眼、耳、鼻、舌、身、意
   ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓
感覚作用
[識]眼、耳、鼻、舌、身、意
    ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓
感覚対象
[境]色、声、香、味、触、法

(それぞれを組み合わせて、眼根、意根、意識、法境というように読む)

 ややもするとオカルティックに捉えられがちな「第六感」も、日本では古来からやや上位に置かれて来たのはこのような背景があったからかもしれない。
 このように自身や世界を体系的に捉える宇宙観が、まだアニミズム的な世界の枠組みしかなかった日本に入ってきたことは大きなカルチャーショックであったに違いない。
 だからこそ、命懸けでその教えを求めて、何人もの人々が海を渡ったのであろう。

 また、「内側に意識を向ける」ということが、後世には倫理的に解釈され、「人のことを言わずに、己を見よ」と用いられるようになったようにも見受けられる。
 確かにインド哲学の教えでも、「人を指している人差し指を自分の方に向け、ブラフマンのシンボルである親指に合わせる」という言い方をする。親指と人差し指で輪を作り、残りの三指を伸ばして手の甲を膝に置いたその手の形が、すなわちジュニャーナ・ムドゥラー(智慧の印)と言われるヨーガの最後でよく取る形である。

imagesCA6DGZP0.jpg

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