2012年01月26日

洞窟のはなし

 ヒッチハイクで九州を回っていた19歳の春、別府のユースホステルで出会った男性から与論島の話を聞いた。半日で歩いて一周できるその島は、エメラルド色の海に浮かぶ宝石だと‥
 それを聞いて早速行ってみることにした。ヒッチで車を乗り継ぎ、宮崎から姶良に抜け、指宿で一泊して鹿児島から船中一泊の船旅だった。名瀬を過ぎた頃から船が大きく揺れだし、船中に並んでいた大きな桜島大根は船の壁から壁へと転げ回った。耐えられない船酔いに悩まされながら、与論島沖合いで波が治まるまで一晩待って、夜明けと共に迎えにきたはしけに飛び移り、初めての日本最南端の地に降り立った。
 しばらく歩いてもまだ足元は揺れている。たくさんの迎えの人々の間に、与論島ユースホステルの看板をもったペアレントに挨拶する。ポケットにある全財産が175円と告げて、その日の午後からサトウキビ刈りのアルバイトを紹介してもらった。

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与論島(船旅をすると、島から雲の湧く様子がよくわかる)


 与論島の道は白い。サンゴ礁が砕かれて砂利になって、紫外線の強い光に照らされてしろく輝いている。そんな道を島の女性は裸足で、頭に様々な荷物を乗せて子供を連れて歩いている。その光景だけでも十分なカルチャーショックだ。島民から聞くと、島の興りは平家落人の兄妹が舟で赤崎の浜に漂着し、この島に住まいしたのが発端だと口を揃えて話してくれた。島民の男性は揃って背が低く、小柄でキュッと体の締まった体型だった。そういえば東京アースディを立ち上げた西田清志さんも与論島出身だと聞いたが、かれも同じ体型だった。彼のお父さんはその昔、友人と二人きりで手漕ぎの舟で九州まで行ったと話してくれた。600kmほどの行程をだ。

 一ヶ月前後もそこに居ただろうか、いつも行くハケビナ浜の入江のどこにどんな貝が居て、どこを泳いで行けば外海に出やすいか頭の中に地図ができたころ、北隣の沖永良部島(オキノエラブジマ)に行ってみることにした。

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 何日か民宿に泊まり、あちこち行っているうちに、今は使われなくなった古い港の湾の懐に、清水の湧く場所を見つけた。南西諸島の島々はすべて隆起珊瑚礁の島である。隆起してそのままの島と、隆起してからいちど海に沈んで再度隆起した島がなぜか交互に並んでいる。与論島は二度隆起した島なのでまだ若く、土が痩せていてほとんどが砂利のような状態でいくら掘っても水は出ない。そのため全ての家庭では天水(テンスイ)といって、雨水を溜めてそれを飲料用に使うのだ。それに比べて隣の島は島としての齢を重ねているので土が黒っぽく、水もよく出る。いちどだけしか隆起していないほとんどの島には鍾乳洞があり、全体として湿っているので毒蛇のハブが生息している。すなわち、ハブのいる島いない島が、交互に並んでいる訳である。
 その清水の湧く場所は、一部にセメントで水槽が作られていて、島民がそこに湧く清水を自由に使っていた。岩肌はジャコメッティの彫塑のようにデコボコし、あちらこちらに穴が空いている。腰の高さに空いているその一つを覗いてみると、多少の奥行きがあり下は乾いた砂が平らになっているので、中をもう少し見たくなって入ってみた。入口は直径1メートルくらい、奥行きは2メートルほどで止まっていて、中に胡座で座って手を伸ばすと軽く天井にちょうど触れるほどで、ゆとりのあるプライベートテントのサイズである。横になってみる。砂の地面はほぼ平で岩肌もなく快適である。よく乾燥していて、洞窟にありがちな苔やカビのような菌類の匂いもしない。
 気がつくと、その日からそのままそこで寝泊まりしていた。

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沖永良部島


 月明かりの夜はいくぶん見えるが、新月の夜になると墨汁を垂らしたような真っ暗闇だ。目の前に手を持ってきても、手が顔に触れてもまったく何も見えない。目を開いても、目を閉じても何の変化もない真っ暗なのである。声を出してみて、自分の存在を確かめるようなことを自然としていたのを思い出す。窮屈ではなかったが、端から端まで把握できる広さの空間に収まっている感覚は、母の胎内にいたころを思い出すかのような感覚であった。人との対話や、外から入ってくるラジオやテレビの情報も何もないので、自分の内面とゆっくりと付き合う時間をたっぷりと持つことができたのは、今から思うととても贅沢で貴重な時間だったのかもしれない。

 月の満ち欠けと潮の満ち干が、ぴったりとシンクロしているのを体感したのもその時である。毎日のように海に入っては貝やウニを採ってきて、乾いた流木を拾ってきては火を起こして調理し、引き潮の岩から集めたアーサ(アオサ、岩のり)を佃煮にしたり、ウニの塩辛を作っているうちに陽は傾き、一日が終わって行った。
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2010年10月26日

【村井千晶プロフィール】

 私がヨーガと出会ったのはずい分と過去になりますが,35年前当時ではクラスを探すのが大変なほど数少ないといった状態でした.

 自己流でやったりやらなかったり‥一時期は太極拳や気功をやっていましたが,5〜6年前から以前より少し真面目にヨーガをやるようになりました.

 ホットヨガで汗をたっぷりかくのが心地よくて,渋谷のスタジオに通っていたのですが,汗がなかなか引かなくてロビーに座って顔の汗を拭いていると「どうぞお使いください‥」と冷たいオシボリを差し出してくれたのが村井千晶さんでした.

 その時は,インストラクターの名前もわからずに受けていたので,「よく気の付く受け付けのアルバイトさんだなぁ‥」くらいに想っていたのです.


 週1回のホットヨガが週2回〜3回と通ううちに,渋谷のスタジオがクローズとなり高田馬場クラスに通いはじめました.

 そして,ホットヨガにも体が馴染んできたので,あるとき2クラス続けてしかもパワーのクラスを受けてみることにしたのです.


 すると,前に座っているのがあの冷たいオシボリを出してくれた,受け付けのアルバイトさんではありませんか!

 「この人,インストラクターだったんだ!?」と思いながらクラスが始まると,これまで受けたインストラクションとのまったくの違いに驚きました!


 いえ,他のインストラクターが出しているインストラクションの言葉と,その内容はほとんど同じなのですが,一言ひとことの伝わって来方がぜんぜん違うのです.

 その瞬間瞬間に,自分の体の中の実感を深く味わいながら,受けている私たちの今に必要でふさわしい言葉が体に染み込んで来て,体が内側からアジャストされていく‥

 そんな不思議な感覚でした.


 それからは村井千晶さんのクラスだけを狙って受けていたのですが,その高田馬場クラスも閉鎖というお知らせが来ました.

 他で教えていないか聞いてみると,ダンススタジオや女性のみのクラスとのこと‥

 そこで私が場所を確保して,生徒さんを集めるので来てくれませんか,ということでスタートしたのが「メンタルヨーガ」の始まりだったのです.

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【村井千晶略歴】

・3歳より豊島和子,服部明子に
 モダンバレエを師事.

・9歳より数多くのコンクールで入賞
 海外公演にも多数出演.

・この頃からヨーガを始める.

・20歳:ロンドン・ラバンセンター
 留学.ISP取得.

・22歳:全米ヨーガアライアンス
 RYT200取得.

・23歳:イシュタヨーガTT取得.
 先駆的ホットヨガスタジオにて
 基本プログラム作成担当,
 インストラクター養成に当たる.

・振り付け師,ダンサーとして舞台で
 活躍する一方ダンス教師として活躍


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2010年10月25日

【河野秀海プロフィール】

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【河野秀海(こうの しゅうかい)】


・浄土宗僧侶(実家大阪市浄土宗天龍院元副住職、同境内の老人ホーム元施設長代理。
 現在 天龍院千代田別院普請準備中。

一般社団法人 森になる 代表理事

日本トランスパーソナル学会理事

・印度中央政府科学技術省公認ヨーガ療術師(ヴィヴェーカーナンダ・ヨーガ研究財団認定)

日本ヨーガ療法学会認定ヨーガ教師

プラーナ整体療術師

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【略 歴】

〇1971年〜約1年間,沖縄方面の島の洞窟に住み,断食や瞑想をして月の満ち欠け,潮の満ち干とともに暮らす.

吉福伸逸氏に師事し,サンスクリット語,ワークショップなどを学ぶ.鰍b+Fコミュニケーションズ設立に参画.

〇1980年:大正大学梵文学科卒(サンスクリット語,印度哲学専攻)

〇1981-1993年:生家の浄土宗天龍院で副住職を務める傍ら,境内の老人ホームで主任生活相談員,ケア・カウンセラー,施設長代理を兼任.

〇1993-1999年:天龍院第28代目住職と、老人ホーム施設長を弟に任せて八ヶ岳に移り住み、津村喬氏(NHK教育TV「気功専科−U」元講師)と「清里樹林気功センター」を設立.二泊三日の「つながりを取り戻すリトリート」を主催(通算25回,延べ参加人数500名あまり).やまなし環境教育グッドプラン賞受賞.

〇1999-2001年:幼少時より手ほどきを受けていた整体や気功の技術を活かし,都内の鍼灸院や整形外科などで治癒実績をあげる(延べ施術人員約2万1千人).

〇2001-2009年:鍼灸・整体施術院開業・運営をサポート.プラーナ整体「森の海」を開設.

◯2011年:2005年より樹を植え自らが森になって、子孫と環境を護る「森になる」を提唱し、一般社団法人「森になる」設立準備会代表世話人を務める。

〇2013年1月:一般社団法人「森になる」を設立.同法人代表理事.

◯1952年開設の社会福祉法人天森誠和会初代理事長河野春江(祖母)は、老人福祉への貢献により藍綬褒賞受賞.

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・臨済宗大本山,鎌倉「建長寺」からの講演依頼

・体が硬い人のための
 柔らかヨーガ主宰(2009/09〜2011/02:計32回)

・村井千晶の
 TrimrutiYoga主催(2010/03〜2012/12)

コンタクトセッションなどのワークセッション=ワークショップをオーガナイズ,プロデュース.

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 自ら森になり,自然と子孫をまもる


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