2015年08月15日

お盆のお勤めー2

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特にお盆には、様々な方からご依頼を頂く。
昨日のお宅は、車から降りて門扉を開いて一歩入ると、手入れされていない庭木の隙間を縫って玄関まで辿り着くような一軒家だった。

ご依頼者は40代後半、独り住まいの男性。奥の間にお邪魔すると、床の間に三体の遺骨が並んでいて、お位牌も仏壇もない。
お聞きすると、お葬式はしていらっしゃらないとのことだった。

6年前にお父様が亡くなり、今年の4月にお母様、その3日後に精神病院に通っていたお兄様が後追い自死をされたと言う。

お葬式をしていないと成仏しないのでは…?
自ら命を絶った霊は浮かばれないのでは…?

依頼段階から、お勤めの後にお話したいということだったのは、こういう話だったのだと納得した。

私はいつも、お話(法話)を先にさせて頂く。その方がお勤めの心構えがきちんとできると思うからだ。お焼香の意味や作法は、後で聞いても仕方がない。

お勤めが終わったあと、固い表情が和らいだ様子に安心して次のお宅へと向かった。

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2015年08月07日

お盆のお勤め

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一般的には、お坊さんがやってきてお経をあげて帰る、という認識かもしれないので少し書いておきたい。
細かい設えや習慣的な事は別の機会に述べるとして、僧侶にとってどんな内容なのかを見てみたい。

まず30分ほどお経あげる。2-3のパーカッションは使うのだが、アリア独唱を伴奏なしで30分ということをイメージしていただきたい。そして、歌手だとそこで終わるが、そこからが僧侶の本当の仕事である。

9歳のお子さんを病気で亡くされたご両親、19歳のお嬢さんのが自ら人生を終わらせたそのお母様、1歳の誕生日を迎えず二度も心臓手術をしたが帰ってこなかったそのご両親、最愛の奥様を若く亡くされたご主人様…
そういった方々の、苦しみや悲しみを全て受け止め、限られた時間内で生きる希望へとつながねばならないのだ。
これを一日に3〜5軒、200km〜600kmの行程を、越谷⇒三浦半島⇒藤沢⇒調布…といったルートで5〜6日間続けるわけである。

どうすれば生きる希望につながるのか。一言でいえば、よりトータルなスピリアリティのつながりと言えるかもしれない。これについては、また改めて書きたい。

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2015年07月19日

お盆

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「お盆」は、サンスクリット語(梵語)の उल्लम्बन( ullambana)が中国で漢字に音写されて「盂蘭盆会」となったのが語源である。

東京の7月のお盆というのは、周辺他県から住み込みで働いている人たちが、8月のお盆には帰省してほとんど人がいなくなるので、東京だけ7月に行うようになったからだ。

盂蘭盆会(ullambana)の原意は「倒懸(トウケン)」と意訳されている。倒立の「倒」と懸垂「懸」で、「逆さ吊り」の状態を意味する。
釈尊の弟子、目蓮の母が死後、地獄に堕ちて逆さ吊りの状態で苦しんでいたのを救ったということが伝えられているが、これは中国で作られた偽経である。

経本の真贋はともかくとして、「倒懸」の真意は、本来大切にすべきことを忘れて、そうではない目に見えるもの手に触れられるものばかりを大切にしているという点にあるのではないだろうか。

私たちは自分のこのからだを「私」であると感違いしている。このからだは、確かに私のからだではあるが、私ではないのだ。例えば、私の手にあるこの扇子は、私の扇子ではあるが、私ではない。私はこの扇子を、ここに置いてこの部屋を立ち去るように、私たちはこの私のからだをここに置いていつかこの世界を立ち去るのである。

このように、本来いちばん大切なことを、いまいちど思い出すために、日常を脇に置いた儀式が重要となるのだ。

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2015年06月28日

恩送りを実現するカルマキッチン

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「食事代は前の方からのギフトで提供され、食事代を支払う義務はない」というカルマキッチン。ネットに現れたときから注目していたが、この”Pay it forward” こそ「廻向」の現代語訳なのだ。

アショーカ王が「五本の木を植えて次の世代のために植えた本人は切ってはならない」ということともつながる。

墓はこれまで個人の家系のためのものだった。それが徐々に人々のためのものとなるのだ。

カルマ・セメタリーというと、カルマの語を知っている人は多少の抵抗感や違和感を感じるかもしれない。カルマは「業」を意味するからである。
私たちは「スカルマ・セメタリー」これから残していくのだ。
サンスクリット語の「ス」は、「善」という意味があり、ヨーガのアーサナ「スッカーサナ」などのように、様々な語頭に冠される。

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カルマキッチンHPより⇒クリッック


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2015年06月05日

第24回「森になるサロン」忍野森になる柔らかヨーガ

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今回のテーマは「力の抜き方教えます」
私たちは力の入れ方、頑張り方は学んで来ましたが、「力の抜き方」はなかなか学ぶ機会がなかったのではないでしょうか。
「森になる」の秘められたポイントは、「静寂」にあります。その「静寂」に到達する近道をお伝えする予定です。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

前半は、力の抜き方に関して自律神経、意識と呼吸の秘密などのレクチャーをします。
後半はその解説を、身体を通して実感して頂きます。
前回まで、動きが少ないプログラムでしたが、今回は毎日できる一連の流れをお伝えする予定です。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

◆今月の開催日は下記日程となりました。

◯2015年6月24日(水)19:00-21:00
◯場所:山中湖近くの芝生さんのお宅予定
◯参加費:千円
◯持ち物:動きやすい服装。バスタオル。持っている方はヨーガマット(こちらでも準備します)

◆宿泊ご希望の方はご相談ください。
◆食事の用意はありません。軽く食事をすませてお越しください。

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柔らかヨーガのマスコットキャラクター「柔らかニャンコ」


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2015年05月31日

死後の存在

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 実家の寺にいた若いころ、檀家さんのお宅に伺うとよくこのように訊ねられた。
 「若おっさん、あの世てありまんのか?」
 大阪では「和尚さん」が訛って、「おっさん」と呼ぶのだが、大阪人らしくからかうようによくこのように聞かれた。

 「あの世、この世」という概念は、言葉が作る別れた世界の見方だ。生まれてすぐの新生児に、自分/他人、あの世/この世という意識が未分化なように、私たちは何も分かたれていない「ひとつ」のところからやって来て、100年前後この別れた世界を体験し、また何も分かたれていないひとつの領域へと帰って行くのではないだろうか。
 「倶会一処」とは、このことを指しているに違いない。
 分かたれたこの世から見ると、「この世とあの世」となるが、何も分かたれていないひとつの領域から見ると「この世=あの世」なのだ。

 私たちは肉体をまとっているが、その肉体が自分ではない。これは「私の肉体」であるが、私自身ではない。私はいつかこの肉体をこの世に置いて、この世から立ち去らねばならないのだ。
 肉体を離れると、すべてとひとつで何も分かたれていない存在となり、常に一緒にいるという在り方になるに違いない。

 私は、毎日のように亡くなった父を思い出すのだが、ある時には父が好きだった花の香りとして父が存在し、またある時には父を思い出して胸の中央がほんわりと温かくなるが、その温かさとして父が存在していると思えるのだ。

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2015年05月07日

大倉正之助氏との出会い「セイクレッドラン」

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 思い返せば、大倉正之助氏との出会いはアメリカインディアンの平和活動ーーヨーロッパでの「セイクレッドラン(聖なるランニング)」の第1回ミーティングが実家の寺で開かれた1989年だった。

 「セイクレッドラン」を主催したのは、AIM(アメリカインディアン運動)の英雄デニス・バンクスである。彼は1973年、アメリカインディアン居留地ウンデッド・ニーで71日もの間FBIと銃撃戦を闘ったリーダーの一人だ。これに抗議したマーロン・ブランドが、ゴッドファザーでのアカデミー賞受賞を拒否したのは有名な話だ。
 アメリカ全国民の90%がTV報道を見守ったといわれるこのニュースで、デニス・バンクスからの呼びかけが行われた。「もう白人になろうとしてもがくのはやめよう。我々は今日から、インディアンとして生きることを選ぶ。このニュースを見ているすべてのインディアン兄弟姉妹よ、ともにインディアンとしての道を歩もう!」

 アメリカインディアンにとっての「ラン」とは命をかけた伝令を意味し、マザーアースである母なる大地に自らの体と命を一歩一歩捧げる行為と捉えられている。「セイクレッドラン」ではラトル(鳥の羽根を付けた長いバトン)を手にしたランナーが走って次のランナーにラトルを手渡す。先に走ったランナーは搬送の車に乗り込んで休みを取り、次のランニング地点まで先回りしてランニングをつないでいくのだ。

 毎朝マザーアースに祈りを捧げ、自分たちの祈りや行為がこの世界をより美しくしていくことを誓い、儀式としての「セイクレッドラン」は始まる。1990年のヨーロッパ・セイクレッドランはロンドンから出発し、ヨーロッパ各国を走ってモスクワまでを完走した。

デニス・バンクス
Dennis Banks

アメリカインディアン運動
AIM

ウンデッド・ニー
Wounded Knee incident

マーロン・ブランド
1972年の『ゴッドファーザー』ではマフィアのドン、ヴィト・コルレオーネを演じアカデミー主演男優賞に選ばれるが、「ハリウッドにおけるインディアンをはじめとした少数民族に対する人種差別への抗議」を理由に受賞を拒否して話題となったが、これはウンデッド・ニー銃撃戦と同年であった。
Marlon Brando

セイクレッドラン.jpg


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2015年05月04日

トーキング・スティックと合議制

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 アメリカの合衆国憲法やフランス革命後の人権宣言にも影響を与えたといわれるのは、多数決ではない合議制のネイティブ・アメリカンの議会制度だった。ひとつの決定が、7世代先にどう影響するかを、全員が納得するまで話し合うのだと聞いた。
 それは私たちの子孫と、それを養ってくれるマザー・アースへの祈りとともにあった儀式である。話す者は、聖霊から与えられたトーキング・スティックを手に取り思いを語る。それは自己主張というよりは、聖霊がトーキング・スティックをもってその者を語らしめるという風であったに違いない。

 明治のお年寄りはよく、「人の話は最後まで黙って聞け」といったものだったが、自己主張よりも平和的に「控える」ということを身につけるという、どこか共通する精神性を感じる。

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Wikipediaより


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2015年04月17日

茶道の作法は合戦場で練り上げられた?

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 家康が大敗したことで有名な三方ヶ原の戦いで、浜松城に戻った家康は自の戒めのために苦渋の表情の肖像画を描かせ、これが現在徳川家康三方ヶ原戦役画像、通称「顰像(しかみぞう)」として残っている。一説によると、命からがら逃げ帰った家康は馬上で脱糞し、家臣にそれを指摘され「これは焼き味噌だ」と言ったとか言わなかったとか…

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家康の顰像


 かつての戦争は、大将自らが甲冑に身を固め、先頭を切って合戦場に繰り出したまさに命がけの場であった。何万人もの雑兵を抱えるそんな中で、トップの人間がパニックにでもなれば軍隊は散り散りである。そのような状況の中で、どう平常心を保つか。その一点に勝敗は掛かっていたといっても過言ではないだろう。

 広大な合戦場を挟んで、敵が向こうの丘の上に陣を張っているそのこちら側で陣を張り、そこで茶を点てるのだ。以前は「昔の戦争はのんびりしていたんだなぁ」と思ったが、そうではないのだと茶の稽古をしていて気がついた。極度の緊張状態の中だからこそ、最期かもしれない茶に心血を注ぎ、世界の美を飲み干すのだ。
 作法の一挙手にすべてを集中して呼吸を深め、何物もない静寂の中へと潜行していく。プライベートな行である坐禅なども平常心を保つ優れた方法だが、茶道はグループで、ある意識状態へと到達できるのである。

 そのような状況の中で、茶道の作法が磨かれていったとは考えられないだろうか。生と死を同等の価値と捉え、それさえも超えたところにアイデンティティを求める日本文化の美学が、そのようにして練り上げられたと思われるのである。

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2015年04月07日

森という祈りのクラウド

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 ある植物学者が、地球上の植物はすべてつながっていると述べていると聞いたことがある(1)。それがどういう経路で伝わったかは知らないが、かつてヒットしたディズニースタイルのSF映画「アバター」の中で、同様の台詞がそのまま語られていたのは記憶にも新しいだろう。
 その説の真偽は定かではないが、森の木々や畑の植物が香りで互いにコミュニケーションを取っているという研究は日本でもされている(2)ことを考えると、すべての植物がつながっているという仮説は、あながち突拍子もないことではないかもしれない。

 すべての植物がつながっていると仮定した場合、ある森を墓地として埋葬すれば、世界中どこの森で祈っても、その祈りは埋葬した森に届くとは考えられないだろうか。森になるでは、森という祈りのクラウドを提案したい。
 
 そもそも日本には両墓制という風習があり、地域によってはそれがいまも色濃く残っている地方がある。その習俗は明治時代に誕生したとされているが(3)、遺体を葬るいわゆる「捨て墓(埋め墓)」と、拝む対象としてだけの埋葬されていない「詣り墓(詣で墓)」である。遺体も遺骨も埋葬されていない墓を拝むというのは、そこに何か遺骨などがあるわけではない位牌を拝むのと共通する行為と考えられる。

 位牌も墓石も、開眼供養を行ってはじめて祈りが通じるという宗教感情が今もあることを考えると、森という祈りのクラウドを有効にするには開眼供養に代わる儀式が必要となると予想される。すなわち、新たなOSをアップロードし、正常な動作をするようにパスを整理する必要があるはずなのである。

植物の会話.jpg


(1)森林学者のスーザン・シマードの研究報告では、森の樹木が地面の下にネットワーク機能を持っており、種類が異なる樹木同士でもお互いに栄養を交換していることがわかったという。
また、樹齢500年ほどの樹木が死を迎える時、周りにある若い樹木にその栄養を譲り渡しているともいう。参考⇒クリック
(2)「植物の代謝コミュニケーション―植物分子生理学の新展開―」杉山 達夫・水野 猛・長谷 俊治・斉藤 和李編 2004年 共立出版
(3)「両墓制の誕生とその後ー明治期に成立した両墓制を考えるー」前田俊一郎 城成大学紀要論文 1996-03

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映画アバターより


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2015年03月06日

ご夫婦の合同葬儀に思うー分別しない智

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 お父様が3月1日にお亡くなりになり、その準備をしているところに、お母様が4日に後を追うようにお亡くなりになったと電話が入った。通夜の控え室で、お嬢さまがこうおっしゃった。「別々に入院していた母に、父も具合があまりよくないと伝えましたが、理解していたかどうか…」

 その言葉に、私はこう答えた。「私たちの日常的な理解の仕方とは別の理解の仕方で全部おわかりだったのではないでしょうか?」
 するとお嬢さまは目がしらを押さえて「そうだと思います」とおっしゃった。

 仏教では、日常的で分析的な「知」に対して、分析的でない直覚的な「智」を優位に置く。「右脳は常に機能していて 、すべてがつながっていることを感知しているのです」と、ジル・ボルト・テイラーが『奇跡の脳』で述べている。
 この示唆的な表現が、「無分別智(分析的でない直覚的な「智」)」を端的に表しているに違いない。

 おそらくお母様は、ご主人様がお亡くなりになった瞬間もよく理解していらっしゃって、ご自身の最期も決められたのではないだろうか。

 ずっと別々に入院していたお二人は、いま頭頂を合わせるように棺が並べられて、やっと一緒に眠っていらっしゃる。

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2015年02月28日

日本古来のスピリチュアリティと現代科学との符号

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 子供の頃に、明治生まれのお年寄りからいろいろな事を教えてもらった。
 10代の頃には、そういった話は非科学的だと退けていたが、歳を重ねるごとに真実味を実感するようになってきた。

 「耳は最後まで残る」という言葉も何人もの人からよく聞いた。息を引き取る寸前まで、あるいは息を引き取った直後にも耳は聞こえていると言うのだ。最近では、心肺停止以降に脳波が動いているという報告を聞くようになった。

 また、「同じ1つの所からやってきて、死んだ後はまた同じ1つのところに帰っていくのだ」と言う話もよく聞かされた。臨死体験が報告されるようになって、脳波の反応がない第二次臨死体験の報告もされている。脳波がかすかにでも反応している第一次臨死体験は、脳が作り出した幻覚かもしれないと言う指摘がある。それに対して、脳波が反応していない第二次臨死体験は、とても鮮烈な体験だと報告されている。そしてその報告は、先に書いたように同じ1つの所へと帰っていく絶対的な体験だと言うのである(『「臨死体験」が教えてくれた宇宙の仕組み』木内鶴彦著)

 そして木内氏の話は、脳溢血で倒れた脳科学者ジル・ボルト・テイラーの報告ともほとんど符号するのである(『奇跡の脳』ジル・ボルト・テイラー)

 「『奇跡の脳』レヴュー」  

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2015年02月27日

銃の命中率アップにもマインドフルネス!?

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 いまやマインドフルネスが非常に一般的になってきている。「マインドフルネス」を知ったのは、1985年に私の知人がティク・ナット・ハンを日本に招聘した際、八ヶ岳での4泊5日リトリート受け入れの総監督をした時である。その時の通訳が藤田一照氏だった。

 ハワイの友人の話によると、スピリチュアル寄りの人々は「瞑想やマインドフルネスを道具や手段としてはいけない(すなわち、それ自体が目的であり手段でもある「道」であるという立場)」に対して、心理学寄りの人たちは人々がより健康や幸福になるための手段としてより広く「使えるもの(すなわち道具、手段)」とするのが最良だと捉えているという。簡単にいうと、瞑想をビジネスに使ってはいけない派と、ビジネスでも使って豊かになろう派に二分されているというわけである。

その極め付けが、アメリカ軍部では銃の命中率が高まるとしてマインドフルネスが導入されているという報告もある。

それに対して、脳の研究家リチャード・デビッドソンは、瞑想やマインドフルネスの実践で明らかに脳に変化が見られると報告し、それは「慈悲心」が養われる変化だと結論付けている。

「私たちのデータは、心の訓練の実践が、長期にわたる変化を脳に誘発することを示しています。」リチャード・デビッドソン(世界的トップ脳科学者のひとり。2006年アメリカ”TIMES”誌に、世界でもっとも影響力のある100人に選ばれた一人)
仏教僧侶たちは、心の属性や、慈悲や慈愛、共感などといったポジティブな感情は、鍛えることができるスキルであると考えており、科学がその裏付けを証明しはじめている。(出典:カナダの新聞 The Vancouver Sun 紙記事、2009年9月25日)
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瞑想実験.jpg


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二河白道

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 人生には辛いこともあるが、喜びもたくさある。しかし、その喜びや幸せも永遠不滅ではないという観点から、釈尊は「人生は苦である」と説いたのだ。

 浄土教に「二河白道(にがびゃくどう)」という教えがある。ある旅人が盗賊に命を狙われ、必死に逃げて来たら崖っぷちに行き着いた。そこには猛獣や毒虫がたくさんいて、まさしく進退窮まった。崖を見ると、左方の南側は火の河、かたや右方の北側は水の濁流である。その中央に白く細い道が向こう岸まで伸びているが、その道にも炎と濁流は被さって来ている。
 そこで迷っていると、岸のこちら側からは釈迦が「行け」と言い、向こう岸からは阿弥陀が「来い」と言う。旅人はその声だけを信じ、ただ一心にその細い道を渡るのだ。

 盗賊、猛獣、毒虫は火宅であるこの世界と、われわれの五感を喩えている。そして火の河は怒りや憎しみ、水の河は貪りや執着の心を喩えている。
 これは、法然上人が心の師と仰いだ中国の善導大師が著した『観経疏』(『観無量寿経』の注釈書)に記された喩えだ。

 葬儀の際に、私の立つ位置はこの線上である。どんな悲しみや激情が渦巻こうが、決して「そこ」に一緒に立つことはなく、しかも全体がこの白道に支えられているという場に立つのである。

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二河白道


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posted by Shukai at 19:18| 東京 ☁| Comment(0) | 祈り・儀式・佛教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年02月26日

経典のこと

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 先日お経のことを書いたので、お経の解説をしておきたくなった。

 「経」の語源であるサンスクリット語のsutra(スートラ)が漢訳されたのだが、「経」はとても正しい訳だといえる。というのも、sutra が「経糸(たていと)」を意味するからだ。

image.jpg


 写真のような貝葉(ばいよう)と呼ばれる椰子などの植物の葉を加工して、紙の代わりの筆記媒体に糸を通して用いた。チベットでは、職人に版画を深く彫らせるため、彫った箇所に砂金を入れて手当としたと、学生時代に教授から聞かされた。

 大学の図書館に収蔵された経典に触れたとき、それぞれ単体ではバラバラの貝葉も経糸が通ることでひとつのまとまりを見せ、全体としてある方向を指し示すのだと感じた。

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